「受けるよりは与える方が幸いである」 07.10.28
                          エフェソ4:17〜32

 イエスさまを通して、実に大きな神さまの愛が私たちに向けられて
いることを知りました。神さまの独り子であるイエスさまを与えてまでも、
私たちの罪を赦し、神の国に迎え入れようとして下さる愛に、私たちは
包み込まれています。私たちは、その愛に応え、神さまを愛し、神さまに
喜んでいただける生き方をしたいのです。「神さまを悲しませたり、
神さまの愛を知らないでいる異邦人のように歩んではならない」と聖書は
語りかけてきます。
 神さまの愛に応える生き方として、「盗んではいけません。自分で得た
収入を困っている人に分け与えるようにしなさい」(28節)と言われます。
 この言葉は、十戒の「盗んではならない」の解説といわれます。真に
盗実から離れた生き方のためには、与えることからはじめるべきで
ありましょう。十戒は、神さまに救われた者の生き方を教える言葉です。
 神さまに救われ、神さまの愛を知る者は、盗む者でなく与える者で
あるべきことが、キリスト教会で言われ続けてきたことです。また、
「盗んではならない」という言葉の意味を「私が出来る限り私の隣人の
ための益を計り、私が人からして欲しいように私の隣人に対して尽くし、
努力して、困って助けを求めている人々を助けることが出来るようになる
ことです」と理解してきたのが私たちキリスト教会です。
 宗教改革者(10/30は宗教改革記念日)のマルチン・ルターは、商業・
経済活動における盗みの誘惑がつきまとうことを見抜いていました。
 世界的な経済活動をする社会に生きる現代の私たちは、奪うことを
次々に起こす社会に身を置いています。それゆえ、たえず分け与える
ことを心にとめていたいのです。
 分け合うことは、自分の取り分が減ることです。 しかしそこに
豊かさが生まれます。
 そこに愛があるからです。 人が分け合うところに、神さまに
よる豊かさが生まれます(ヨハネ一4:12)。
 「分け合う歩みを、一緒にいこう」と、主イエスに励まされて
進むのです。